平安〜鎌倉期・男神像…平安京/神道/神の国/方位除け/守護神/鎌倉時代

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ご観覧ありがとうございます。ご紹介のお品は推定1185年~1333年鎌倉期の男神像になります。元々神道(神の国)である日本では平安時代頃から本来は姿形をもたない神々の像を造り祀ることが盛んに行われるようになりました。方位を司る神々が祀られていた歴史的資料も多々あるようです。ご紹介の神像は金箔・彩色が鮮やかであった形跡はあります。経年での風化・彩脱離・虫喰い等は多々ありますが、この崩れかけた姿が神や仏の枠もない本来と異なる神仏習合を感じさせられます。底板は恐らく江戸期位に後付けされたものかと伺えます。背中央に一部嵌め込み造りになっており恐らく御霊「神札」等を収めるためのものかと思われます。コンディションはお写真の通りですが形状が崩れることはありません。歴史的資料・美術品としても時代のある貴重な逸品かと思われます。またこの時代の神仏は売買目的で造られたものではなく純粋に祀る目的の像になります。サイズは高さ約21.5cm※神像文献上に神像が現れるのは763年(天平宝字7)…僧満願が多度神宮寺に多度大菩薩の神像をつくったこと…平安初期の804年(延暦23)…月読宮の神体として男神像が造立された例などが古い。このように奈良時代末から神像がつくられたという記録はあるが盛んになるのは平安時代以後である。現存する最古の神像とされる京都・東寺の八幡三神像(国宝、9世紀後半)は同寺の鎮守社であった八幡社の神体で3体とも同一材を用いた一木造で木地の上に部分的に厚く木屎漆(こくそうるし)を置き厚手の彩色を施す造像法をとっている。これは奈良時代の木心乾漆像の手法を残したもので明らかに仏像の表現や技法から学んだことが分かります。奈良に都・平城京(へいじょうきょう)が置かれ、律令国家としての体制が固められてゆきました。
遣唐使(けんとうし)によってもたらされた大陸文化の影響から、天平文化(てんぴょうぶんか)と呼ばれる仏教文化が栄えました。※方位除け大将軍八神社(京都の方位除け神社)は方位を司る神社のようです。平安京・京都が生まれ千年以上…京を守り続けてきたそうです。★ネット上のお取引ゆえに現物を観れない購入者様に「安心・納得」して購入して頂く為に…売側中心の『自己中・傲慢』な規定等は設けません。※ご購入前には必ずプロフィールをご覧下さい

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